全日本ジムカーナ通算100勝ドライバー・山野哲也がジムカーナをやめないワケ

2019年1月21日

 

2018年JAF全日本ジムカーナ選手権PN2チャンピオン/
全日本ジムカーナ通算100勝獲得ドライバー
山野哲也インタビュー

フォト/堤晋一、JAFスポーツ編集部 レポート/JAFスポーツ編集部

この記事は、JAFスポーツ2019年冬号「2018年JAF全日本選手権チャンピオンインタビュー」で掲載したインタビューを、JAFスポーツWEB用に再構成したものです。

 全日本GT選手権ファイナルイヤーの2004年にはGT第2部門で初タイトルを獲得し、スーパーGTシリーズへと生まれ変わった2005年から2年連続で300タイトルを獲得。
 山野哲也選手と言えば、多くの人は1999年から15年間参戦した、JAF全日本GT選手権及びスーパーGTシリーズ300クラスの選手、つまりレーシングドライバーとしての顔を、まず先に思い浮かべるだろう。 そんな山野選手が、2018年11月30日に行われたJAFモータースポーツ表彰式で、全日本同一カテゴリーにおける初の100勝達成者として、ル・マン24時間耐久レース優勝の中嶋一貴選手らと並んで特別賞が授与された。

 山野選手は、学生時代に出会ったジムカーナ競技に惚れ込み、1980年代から現在まで参戦を続けている。途中、レーシングドライバーと掛け持ちする忙しい日々を送ることになりながらも、JAF全日本ジムカーナ選手権への参戦は欠かさなかった。 2018年4月21〜22日に福島県のエビスサーキット西コースで開催されたJAF全日本ジムカーナ選手権第3戦で、前人未到の「全日本ジムカーナ通算100勝」を挙げた山野選手。
 アバルト124スパイダーでPN2に挑んだ2018年シーズンは合計7勝を数え、第7戦スポーツランドSUGO西コースで、2018年の全日本タイトル確定一番乗りを果たした。

 そして、全日本100勝を挙げた第3戦エビス西の表彰式では、山野選手が「生涯ジムカーナを続けていく」と発言。実はこのセリフ、何十年も前から、ことあるごとに口にしてきた、山野選手の「主義」として知られている。しかし、これだけ華々しい経歴を持つドライバーなら、レース業界でも引く手あまた。違う道を歩むことも可能なはずだ。
 それでも「ジムカーナをやることで、今でも自分の技量が上がっている」、「ジムカーナで運転がうまくなる」そして「ジムカーナは生涯やめない」と公言している。
 ここでは、山野選手が抱くモータースポーツに対する考え方や、山野選手が長きに渡ってジムカーナ競技を続けてきている理由について、直撃した。

 
山野選手が2017年から全日本PN2に投入したアバルト124スパイダー。第3戦エビス西では、車両トラブルを抱えながらのトライとなった。
 
第1ヒート暫定2番手の山野選手は、第2ヒートにベストタイム更新。最終走者の河本晃一選手は逆転ならず、山野選手の100勝目が決まった。

ほろ苦い、山野哲也のジムカーナ・デビュー

 「自分の原点が100%ジムカーナにあるのは確かだね。まだ10代の頃にクルマの本を読んでいて、『モータースポーツにはたくさんのカテゴリーがある』という文言が書いてあったんだ。そこには『ジムカーナは一人で手軽にできる、スピンターンなどを駆使してタイムを削る』なんてことが書いてあって、自分でもできそうだなって思ったんだ。 そして、恐らくレースは、クルマを作るのも大変だし、人もたくさん必要だし、クラッシュしたらダメージが大きそうだなっていうイメージがあった。だけど、ジムカーナなら、クラッシュするリスクが少ないし、恐らくコストも低いだろうってことも感じてたんだ。
 そして同時に、『クルマの限界で走れそうだな』っていうことも感じてた。それはスピードじゃなくて、与えられた環境の中でのクルマの限界が出せそうだって感覚。それで、ジムカーナの練習を始めたのが、ボクが大学生のときなんだ。

 ジムカーナのデビュー戦で、実は転倒しちゃったんだ。でも、転倒するまでの30秒間で、『あ、これは自分との戦いなんだな』っていうことを感じてた。『ライバルは他人じゃない。自分との戦いなんだ』って。ジムカーナは、全車が走り終わって初めて自分の順位が分かる競技なので、それまでは、周りを気にしても仕方がないなって思ったんだ。
 ジムカーナは、自分のベストを尽くすだけだから、凄くシンプルというか、誰の責任でもない。『他人のせいにしなくていい。これは面白いな』って思ったんだよね。
 デビュー戦は、リザルトとしてはリタイアで最悪だったし、いろんな人に迷惑を掛けた。クルマを貸してくれた方々や、編集部の方々にも叱られたんだけど、それがあったから、自分の技量が足りていないことを理解できて、なおさら『運転がうまくなってやろう、運転がうまくなれば、ひっくり返らないで速く走れるんだよね』って思ったんだ」。

ターニングポイントは、学生時代にまで遡る

 「振り返ると、最初の1年でいろいろなことが起きたんだ。全日本学生ジムカーナの大会に出場したとき、当時のAE86に乗って、ブッちぎりで優勝したこともあったんだ。それで、『クルマのコントロールができれば、大会でも優勝できるんだ』ってことも体感した。
 大会っていうのは、ある意味『速いと楽しい』ってことだと思うので、『勝つことの喜び』を知って、『クルマの運転がうまくなると、こんなに楽しいのか』と思えるようになったんだ。そして同時に、『自分の運転が正しかったこと』と『自分の運転がまだまだ足りてないこと』の二つの側面を認識して、両側から自分を攻めていきたいと思ったんだ。

 学生時代、特に大学4年の頃は、地方選手権やフレッシュマン戦のほか、雑誌やショップ、大学主催の草ジムカーナまで、出られる大会を見付けたら即エントリーする、みたいなことをやっていて、年間50戦ぐらいジムカーナの大会に出てたんですよ。
 その目的はハッキリ決まってて、参加する大会を『勝ちに行く大会』と『負けに行く大会』という2種類に分けて、それぞれ別の目標を立てて大会に出てたんだ。
 この『勝ちに行く大会』っていうのは、自分の勝ちパターンを知るために参戦することが目標で、『負けに行く大会』というのは、負けるために出るんじゃなくて、勝てないことはわかってるけど、チャレンジすることによって、自分の持っていない技量を身に付けることを目標にしてた。自分より上手い選手たちの間に入って、自分自身が揉まれる環境にあえて足を突っ込む、というトライアルをやっていたんだ」。

得意分野がレースにもあった、という発見

 「こういうトライをジムカーナで何年か続けてたんだけど、そうなると地方選手権あたりでは、参戦するとすべて優勝できるようになって。ツアーシリーズ(全日本選手権の前身)が始まって、そこでチャンピオンを獲って、それが全日本ジムカーナ選手権になって、そこでもチャンピオンを獲れた。そして、同じ年にレース参戦のお誘いがあったんだ。
 最初は、自分にはレースは無理だなと思っていて、レースの人たちは雲の上だし、自分自身もスピードを出すこと自体に、実は興味を持ってなかったんだ。300km/hとか出ちゃうと、むしろ怖いって感じ(笑)。

 ライバルと直接戦うことも興味なくて。ボクシングとか格闘技みたいに、ぶつかり合ってまで相手を倒しにいく、っていうのがあまり好きじゃなかったからね。
 でも、『真剣に走ってクラッシュしたなら面倒見てやるから、心配しないで思いっきり行け』って言ってくれた人がいたおかげで、レースを始められたんだ。
 いざレースをやってみたら、スタートからゴールまで、一番短い間にクルマの性能を引き出すことができれば、その日は優勝できるわけで、速度域と、同じコース上にライバルがいるかいないかだけで、やってることはジムカーナと何も変わらないって思えた。

 シビックレースであり、N1耐久レースだったり。最初のGTのオーディションときには、自分の中では通用しないだろうって思ってた。でも、最終的には、全日本GT選手権やスーパーGTで走れることにになって、ありがたいことにチャンピオンを3回も獲れた。
 もともと、レーシングドライバーになりたいと思ってモータースポーツをやっていたわけではなかったので、レースをやらせてもらえたことで、『自分の得意分野がレースにもあった』ことが分かった、という感じかな。
 でも、そのレーシングテクニックをどこで培ったかというと、もちろんレースでも技量は上がったけど、全日本GT選手権では最初の年から表彰台には乗れたので、『GTで培った』とは言えないかな。あくまでもジムカーナ。もしくはジムカーナの後でシビックレースとか、N1耐久をやったことで培ったテクニックだなということでもあるよね」。

ピークは「手前」でも、「行き過ぎて」もダメ

 「自分自身を分析すると『環境変化に強い』というのがある。例えば、雨が降ったりとか、クルマが不調になってきたとか、極端に言えば、タイヤがパンクしたとか(笑)。そういうときでも、そのときにできる、精一杯のリザルトを残せる自信がある。
 この『自信』は、すべてジムカーナから来てるんだよね。ジムカーナって、同じコースをもう一度走れるのは一生に一回だけ。それ以外はすべて違うコースなんだ。

 コースに体を慣らす時間がない。雨でも風でも、暑くても寒くても、クルマが動き出したコンマ数秒後にはタイム計測が開始されてしまう。だから、初めてのコースへの『対応力』が必要で、そういうウォーミングアップがないスポーツって、意外と少ないんだよ。
 ジムカーナは、短い時間で最大のパフォーマンスを引き出さないと勝てない競技で、引き出し足りなかったらタイムが遅いし、引き出しすぎてもタイムが遅い。
 『ピーク』というものがあったら、ピークの手前もダメだし、ピークを過ぎても遅くなる。このピークっていうのは、アンダーステアとオーバーステアの間だったりするんだけど、アンダーステアでも、オーバーステアでも全部タイムが遅くなるんだ。。

 このピークを、スタート直後のコンマ数秒後に引き出して、それをゴールまで維持し続けないといけない。しかも、それを、知らないコースでやらなきゃいけない(笑)。
 走っている途中に雨が降ってきても、ベストタイムを出しに行かないといけない。与えられた環境で引き出すべきピークに対して、自分のチャレンジをし、行きすぎないように抑え、でも、チャレンジしないとピークには到達しない。
 ジムカーナドライバーは、こういうピーク付近のやり取りを、恐らく1000分の何秒単位でやっているんだ。タイヤが路面に対して、ピークグリップを引き出しているかどうかを汲み取って、もしくはタイヤからの伝達情報に対してすぐさま操作を返す。こういうやり取りができるかできないかが『ジムカーナの勝負』なんだよね。

 こういう難しいチャレンジを続けてきたことによって、クルマのパフォーマンスを瞬時に引き出す技量や、環境変化に対応する力というのが培われた。
 だから、短い時間の中で、短いピークを引き出し、修正し、チャレンジし、みたいなことをやらなければいけないジムカーナは、ボクにとって一番勉強になるわけで、それが『自分の技量を上げている』とか『運転がうまくなる』理由だなと思ってて、そこの部分が、『ジムカーナが自分を育ててくれた』と感じるところなんだ」。

『守る』という技術が、レースで身に付いた

 「レースに出たことによって、『身を守る』ことを凄く感じた。同じ時間帯に、同じコースをライバルが走っていて、みんな一番でゴールしたいわけで、その気持ちがレースをさせる、というか『レース』という言葉そのものになっているくらいだからね。そうすると、攻めるだけじゃなくて、守ることも必要なんだよね。
 なぜ守る必要があるかというと、守らないとチャンピオンが獲れないから。例えば、ライバルとサイド・バイ・サイドになったときに、自分がコースオフして接触を逃れるのか、それとも自分がコース上にいることによって身を守るのか。もしくは、鬼のようなブロックをした方がいいのか、抜かせた方がいいのか。『ここは焦るところではない。後でも挽回できる』みたいな感じ。この『守る』という技術はレースで学んだなと思う。

 これは2018年のチャンピオンが確定する、夏の全日本ジムカーナ第7戦SUGO西大会のときに一番強く感じたんだ。スポーツランドSUGO西コースの大会のときには、ここで焦ったら……曲がらないとか止まらないとか思ったら、『恐らく、負ける』と思ってた。
 ジムカーナにおける、路面温度が高い状況での戦い方っていうのは、自分を守ることを考えておかないといけないんだ。攻めたら終わり。確実に走り切ることを目指さないといけない。今回のコースレイアウトでは、特に後半セクションに関しては、確実に走り切ることを目指す必要があったんだ。
 『守る』という考え方が一番効いた大会だったね」。

人生も含めて「目一杯、やり切れた」かどうか

 「ボクらは一般道も走るわけで、むしろ一般道の方がいろんなことが起きるよね。そういう過酷な交通環境の中でも、瞬時に的確な制御ができるようになったと思ってるんだ。
 よく言われる『認知・判断・操作』があるよね。その3ステップを基本とするなら、自分はその手前に『予測』というステップや、『認知・判断・操作』の後には『確認』というプロセスがあると考えてる。そして、自分としては、この最初の『予測』と最後の『確認』が大事だと思ってる。

 こういう、クルマを走らせる技量の面だけじゃなくて、例えば『このタイヤを持ってきて良かった』なんていう、メンタル面というか戦略面といったことも含めてだよね。『雨が降るなら、山のあるタイヤを持ってくれば良かった』とか、未だにあるからね(笑)。
 ジムカーナは、約90秒という超・短い時間にすべてが凝縮されているスポーツ。それだけに『ここまでやって勝てなかったら全然悔しくない、今日はもう完敗。むしろ清々しい』みたいに思えることも多いんだ。これはレースでも同じだけど、クルマも人間も持ち得る力を引き出し切ったときは、負けても悔しくないんだよね。

 何かしら、やり切れなかったときの悔しさみたいなものが残ったりするよね。でも、それは目一杯やってないからなんだと思う。目一杯その持てる力を引き出したときの満足度というのは、やっぱり、日常生活の中ではなかなか体験できないからね。
 短い時間で仕上げるといった行為は、仕事や人生にも繋がってるよね。効率みたいなところも含めてだけど、準備が大事であったり、確認が大事であったり。日常生活から自分の人生のプランニングまで、すべて繋がってる感じがしてるんだ。

 モータースポーツは、最終的にはスタートからゴールまでを短い時間で走れば良くて、それが最高のリザルトを得るためのシンプルな考え方だよね。でも、その単純なことに集中できなかったり、できない環境になってしまうのも自分の責任なんだ。
『準備』から『片付け』から『次への展望』などなど、速く走ること以外にも勝利に繋がる要素はたくさんあって、こういう、あらゆるレーシングな要素を最小限の単位でできるジムカーナに真剣に取り組んできたことで、モータースポーツ以外のあらゆる事象に通じる、いろいろな事を教えられたとも思っているんだ」。

山野哲也にとって、ジムカーナとは?

 「クルマとは思えないような動きを見せられる、魔術のような運転『ドライビングマジック』というのがカッコつけた答え。カッコつけなければ……『コンソメ』みたいなところ(笑)。本当に必要な要素がすべて凝縮・濃縮されてる。何にでも使えるしね。スパイスじゃない、もっと根本的なところ。濃縮されてるから還元できるわけだから。
 アメリカンな発想で言えば、『身近なダイナミズム』みたいな感じ? ハリウッド映画だと交差点でパトカーがドリフトしてるよね。ジムカーナ選手にとっては楽勝なワケで。そういう走りを、身近なクルマで、日本各地でやっているのがジムカーナ。そういうダイナミックな走りを、サーキットまで行かなくても、見たり体験できたりするんだよね」。

100勝しても、ジムカーナをやめない理由

 「よく言うじゃない。一つのものを極めるほど、ほかに転用できるって。たまたま自分の場合は、一芸に秀でたのがジムカーナで、それが他のカテゴリーにも流用できて。さらには、直接関係がない、仕事や生活にも応用できたという感じ。
 でも、ジムカーナを否定するわけじゃないけど、ジムカーナのすべてが、何が何でもいいとは思ってない。そして、『ジムカーナ選手』と言われるのも好きじゃない(笑)。
 なぜなら、自分はクルマのすべてに対してプロフェッショナルで、『マルチドライバー』だから。ジムカーナをやったおかげで、マルチドライバーになれたことは紛れもない事実だけど。自分が育ってきたルートにジムカーナがあって、レースに出たことで新たな戦い方を知り、それが、ちゃんと現在のジムカーナ活動に返って来てる。

 これまでの結果見れば、自分がジムカーナで培ってきた技術っていうのは、カテゴリーを問わず、すべて通用してるなって思ってる。全日本GT選手権やスーパーGTで得られたレースのチャンピオンもそうだし、北米のパイクスピーク・ヒルクライムも、全日本ラリーも全日本ダートラも。これまで挑戦したカテゴリーは、全部入賞してるからね。
 自分の運転の幅が広がったのは、すべてジムカーナのおかげだと思ってる。ウソ偽りなく、ジムカーナが自分の運転の技量を上げてくれている。それは、自分が発展途上だったときだけじゃなく、現在も進行形。だから、ジムカーナはやめないんだ」。

 
愛機の前で100勝の記念ボードを掲げる山野選手。第3戦エビス西では観客席を行脚して、応援してくれたファンに感謝の意を伝えた。
 
車体には2017年からカウントダウンステッカーが貼り付けられていた。第3戦エビス西での勝利の後、3桁のものに貼り替えられた。
 
そして8月5日にSUGO西コースで行われた第7戦で、いち早く2018年PN2チャンピオンを確定。自身18回目の全日本タイトルを獲得。
 
11月30日に行われたJAFモータースポーツ表彰式では、PN2でタイトル争いを演じた、河本晃一選手や松本敏選手らと記念撮影。
 
1全日本選手権同一カテゴリーで100勝獲得という偉業を讃え、中嶋一貴選手やTOYOTA GAZOO Racingと共に特別賞が授与された。
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