岡本大地選手、ついに念願のスーパーFJドライバーたちの頂点に立つ!!

レポート レース

2025年1月14日

ルーツであるFJ1600による開催から数えると、2024シーズンで実に27回もの歴史を誇ることとなった「スーパーFJ日本一決定戦」が、鈴鹿サーキットを舞台に11月30日〜12月1日に開催された。そのエントリーは全国の精鋭が集まって、実に53名にも! 2023シーズンの32名参戦から、激増とも言える。ただし、用意されるグリッドは50とあって、3名がファイナル(決勝)に残れない非情な一戦にもなった。

2024年S-FJ日本一決定戦
(2024鈴鹿クラブマンレースFinal Round内)

開催日:2024年11月30日~12月1日
開催地:鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)
主催:ARCN、SMSC

 レーススタイルは従来どおりトーナメント方式。A組とB組に分かれ、各組予選と6周のセミファイナルを行った後、10周のファイナルで今季のスーパーFJドライバー日本一を決める。金曜日に行われた専有走行こそ通り雨がサーキットを濡らしたものの、以降はドライコンディションが保たれ、青空が映えるレースウィークとなっていた。

予選

 予選はA組、B組ともに開始から間もなく赤旗中断があり、さらにA組では半ばに、B組では終了間際にも再び赤旗が振られる、波乱じみた展開となった。そんな状況の中でも、上位には順当な顔ぶれが並んだ。

 まずA組では岡本大地選手がトップ。スーパーFJ(S-FJ)初参戦から8シーズン、その間に優勝はもとより、何度もチャンピオンを獲得しているが、日本一決定戦の勝利にだけは恵まれずにいたドライバーだ。「再開後は前の方に並べて、すぐ抜いてクリアを取れたのが大きかったですね」と振り返った。

 岡本選手に続いたのは、2024年JAF鈴鹿・岡山スーパーFJ選手権のチャンピオンを確定させている迫隆眞選手だったが、赤旗提示中の追い越しがあり、3グリッド降格のペナルティが課された。繰り上がって加納康雅選手が2番手につけた。

 B組では豊島里空斗選手が2023シーズンの日本一、小田優選手をおさえてトップを奪取。序盤に出したタイムで逃げ切りとなったが、惜しむらくはふたりともセクター1、セクター2ともに自己ベストを記録していながら、終了間際の赤旗によって力走が水の泡となったことだ。最後まで走ることができていれば、また違った展開になっていたかもしれない。

「最後の周にもっと出せたかな、と思いますがしかたないです。途中、スピンした車両とぶつかりそうにもなっていましたし」と、実力を発揮しきれなかった様子の豊島選手は悔しそうでもあった。

2024年S-FJ日本一決定戦には53名ものスーパーFJドライバーが集い、予選とセミファイナルは2組に分けて行われた。A組は日本一候補のひとり、岡本大地選手(FTK・レヴレーシングガレージ)がなみいる猛者たちをおさえてトップタイムをマークし、その実力を見せつけた。
B組は2024年JAFもてぎ・菅生スーパーFJ選手権でランキング2番手確定の豊島里空斗選手(CSI Racing)が気を吐いた。もてぎ・菅生チャンピオンを確定させている、小田優選手(Drago CORSE TAKE)を0.032秒差でおさえてトップタイムをマーク。シリーズでは小田選手に敗れてしまったが、鈴鹿で一矢報いた。

セミファイナル

 セミファイナルのA組はスタートを決めた岡本選手がそのままトップで駆け抜けたが、「路面温度が低過ぎてペースがあまり良くなかったのは、内圧をかなり上げたせいかもしれません。ちょっとピークのパフォーマンスが足りなかったかもしれないです」と、内容には納得のいかぬ様子だった。

 その岡本選手に唯一くらいついていけたのは、予選でのペナルティによるグリッド降格から2番手まで追い上げてきた迫選手のみ。鈴鹿・岡山チャンピオンを確定させている速さを迫選手は発揮し、決勝での活躍も期待させる走りを見せた。

 B組ではフォーメーションラップ中に、豊島選手がオーバーラン。小田選手の先行を許すも、トップグリッドに戻ってしまったため、スタートから間もなくドライブスルーペナルティが課せられて大きく順位を落とした。対してトップに立った小田選手はファイナルのポールポジションを獲得すべくハイピッチでの周回を試みるも、4周目にセーフティカー(SC)が入ってその思いは叶わず。

「スタートで前に出て、あとはいいタイムで走ってトータル(トップ)タイム狙っていたのに、セーフティカー出ちゃったのはしょうがないですね」と嘆くことしきり。2位に入ったYUTA SUZUKI選手はチームメイトで、2024年JAF筑波・富士スーパーFJ選手権チャンピオンを確定させている伊藤駿選手を抑えきった。

 3名がファイナルに残れないという状況だったが、予選を前にして2名がリタイアを表明。そしてセミファイナルを走れずに終わった1名が、寂しくピットで見守ることになった。その一方で、セミファイナルでリタイアを喫した3名は、ピットスタートでのファイナル出走が許された。

セミファイナルは僅か6周。それでもA組の岡本選手は、2番手を取り戻して迫った迫隆眞選手(ミスト制動屋Kデンタルオフィス)も寄せつけず、トップでフィニッシュ。車両の仕上がりに不満を抱えながらもB組も合わせたトップにも立ち、ポールポジションから悲願の日本一を狙うこととなった。
豊島選手のミスで前が開けた小田選手はPP獲得のためにペースアップを図るも、セーフティカー出動によって目標は達成ならず。それでも2023シーズン日本一の強さを見せてB組を制し、フロントローから二連覇を伺うかたちとなった。

ファイナル

 予選からファイナルまですべて青空の下で、しかも12月に入ったというのに、凍えるほどの寒さを感じずにすんだのは何よりだった。だが、そのファイナルを前にしてハプニングが発生してしまった。3番手からスタートするはずだった日本一候補のひとり、迫選手がグリッドに向かうレコノサンスラップで7番グリッドを獲得していた田上蒼竜選手と接触、ともにダメージが大きく、リタイアとなったのだ。これで5番グリッドにつけた加納選手の前後が空いてしまった。

 フォーメーションラップを終えて、いざスタートというタイミングでも再びハプニング発生。後方グリッドにつけた車両のエンジンが止まったことでエキストラフォーメーションラップを加えたため、10周で争われるはずが9周に改められてしまう。

 相次いだハプニングにも岡本選手が平常心を保っていたのは、完璧なスタートからも明らかだった。小田選手の蹴り出しも良く、1コーナーでは岡本選手の背後につけたものの、ASURA S字コーナーで早くもリードを広げられてしまう。そして、加納選手は降って湧いた好機を逃さなかった。1コーナーで伊藤選手のインを制して順位を守ると、勢いそのままに130RでSUZUKI選手をかわし、オープニングラップのうちに3番手に上がったのだ。

 2周目に入った段階で、もう岡本選手、小田選手、加納選手、SUZUKI選手の順で、ほぼ等間隔となったのに対し、やや離れてアツい5番手争いが繰り広げられ、伊藤選手や津田充輝選手、元山泰成選手、酒井翔太選手が何度も順位を入れ替えながら競った。

 そこに加わってきたのが、落合蓮音選手。予選こそコースアウトも喫して下位に沈むも、セミファイナルでA組の8位まで上げた勢いは、ファイナルに入っても健在だったのだ。6周目に5番手集団の先頭に立つと後続を離しさえしたものの、さらに前へ行くには間隔が広がり過ぎていたのが惜しまれる。

 一方、トップを行く岡本選手だが序盤に見せた勢いはなく、少しずつ小田選手が迫ってきた。この展開には、岡本選手はS-FJデビュー以来、2023シーズン以外の日本一決定戦に出場して大本命と呼ばれ続けながら、トラブルで涙を飲み続けていたから、という理由があったのだ。実際、岡本選手は「守る方向で、マシンの心配ばかりしていました」とのことで、守りの走りになってしまっていたようだ。リスク覚悟の走りをしていたら、また異なる展開になっていたかもしれない。

 上位陣に順位の変動がないままファイナルラップにさしかかると、ヘアピンでは複数台が絡むアクシデントが発生した。これが1周でも早かったなら、あるいは本来の10周で争われていたら、きっとSCが導入されていただろう。これもまた、違った展開になっていた可能性はある一幕だった。

 岡本選手がトップを守ったままチェッカーフラッグを受け、悲願の日本一決定戦初優勝を遂げた。これでS-FJは卒業かと思われたが、「まだ続けていきたいと思います。このカテゴリーで学べることは、いっぱいありますからね。もう26歳ですけど、まだ26歳でもあるので、もっと上手くなりたいですから」と、胸を張って答えた。現在はスーパー耐久シリーズやGR86/BRZ Cupのプロフェッショナルシリーズにも参戦するまでに成長したが、これからも若手ドライバーが越えていかねばならぬ“壁”となるのであろう。

 史上初の日本一決定戦二連覇を狙った小田選手だったが2位に終わり、「限界。ちょっと辛かったです。まだ足りないんだな、って思いましたね」と悔しそうに振り返った。そして3位の加納選手はS-FJルーキー最上位を獲得し、「表彰台に立てて、めっちゃ良かったです。(岡本)大地さんが速いのは分かっていましたが小田君にも離されたので、やっぱ練習が足りないですね」と、こちらは嬉しさ半分、悔しさ半分の様子で語ってくれた。

 ジャンプアップ賞は22台抜きを果たし、14位でフィニッシュした豊島選手が獲得。もし、セミファイナルで普通に走れていれば、ファイナルでどのような走りを見せてくれたのか。やはり2024シーズンもS-FJ日本一決定戦には、悲喜こもごものドラマが詰まっていた。

 また、ジェントルマン賞は、長年獲り続けていた吉田宣弘選手がS-FJからの卒業を宣言したことで、本命不在の戦いとなったが、総合26位でフィニッシュした山根一人選手が初めて受賞した。

2021シーズンのJAF鈴鹿スーパーFJ選手権とJAF岡山国際スーパーFJ選手権のダブルチャンピオンをはじめ、幾度も優勝やチャンピオンを獲得してきた岡本選手にとって、逃し続けていた日本一の座は念願だった。後続を寄せつけない走りで予選とセミファイナル、そしてファイナルの全てでトップを守り抜き、完璧なかたちで日本一を掴みとった。
史上初の日本一連覇を目指して岡本選手を追った小田選手だったが、岡本選手の背後を脅かすことはできずに2位。しかし、予選から常に上位を守り続け、もてぎ・菅生を制した力は伊達ではないことを示した(左)。2022シーズンはJAF全日本カート選手権FS-125部門の東地域で活躍し、今季は四輪デビューした加納康雅選手(イーグルスポーツ)が3位を獲得。激戦だった2024年JAF鈴鹿・岡山スーパーFJ選手権でいきなりランキング3番手を確定させている速さの片鱗を見せた(右)。
表彰台には左から、2位の小田選手と日本一に輝いた岡本選手、3位の加納選手が登壇した。
セミファイナルで痛恨のミスを犯し、36番グリッドと後方に沈んだ豊島選手だったが、ファイナルではその鬱憤を晴らすかのような大健闘。14位フィニッシュで見事、22台抜きを果たしてジャンプアップ賞を獲得した。
40歳以上のドライバーが対象となるジェントルマンクラスで、ながらくトップドライバーの一角を占めていた吉田宣弘選手がついにS-FJを卒業。彼が抜けた後に、誰が台頭するのかにも注目が集まった。鈴鹿・岡山と富士スピードウェイで活躍している山根一人選手(光精工TK-Sport MYST)がクラストップとなる総合26位でフィニッシュした。

2024スーパーFJ 日本一決定戦 表彰式

 ファイナルが終わり正式結果が発表された後、毎シーズン恒例となっている表彰式がピットビル2階のホスピタリティラウンジで開催された。食事も提供され、シーズン中とは異なる和やかな雰囲気の中で式典は進行した。

 もてぎ・菅生、筑波・富士、鈴鹿・岡山、そしてオートポリス、4シリーズで確定しているチャンピオンや日本一決定戦のトップ10ドライバーたちに賞典が授与されると、式典の最後には2025シーズンの日本一決定戦は12月20~21日に富士スピードウェイにて開催されることが明かされ、会場からはどよめきが起こった。

もてぎ・菅生、筑波・富士、鈴鹿・岡山そしてオートポリスの4シリーズのチャンピオンのトロフィーや日本一の証でもあるカップ、日本一決定戦のファイナルレース賞として、受賞者たちに総額236万円が贈られるなど、数多くの賞典が用意された。
チャンピオンを確定させている各シリーズのランキングトップに、トロフィーが授与された。左からもてぎ・菅生の小田選手と筑波・富士の伊藤駿選手(ZAP SPEED 10V ED)、鈴鹿・岡山の迫選手。オートポリスの吉元陵選手は欠席。
ジャパンスカラシップシステムが開催している、全国転戦シリーズのジャパンリーグも表彰された。左からチャンピオンの小田選手、2位の松井啓人選手(FTKレヴレーシングガレージ)、3位の酒井翔太選手(ファーストガレージKKS-II)。
36番グリッドからスタートを切ると、22台抜きの激走を見せた豊島選手にジャンプアップ賞が贈られた。
ジェントルマン賞は左から、トップの山根選手と2位の上吹越哲也選手(FTK・レヴレーシングガレージ)、3位の中島匠選手(AVIATOR A ONE)が表彰された。
株式会社KEDが協賛し、ファイナルで最も光る走りを見せて活躍したドライバーに贈る「KED ドライバー オブ ザDAY」は、S-FJデビューから約4カ月で4位入賞を果たした、というYUTA SUZUKI選手が受賞した。
日本一決定戦ファイナルのトップ10にも賞典が授与された。前列左から2位の小田選手、日本一の岡本選手、3位の加納選手。後列左から4位のSUZUKI選手、5位の落合蓮音選手(ファーストガレージKKS-2)、6位の伊藤選手、7位の酒井選手、8位の津田充輝選手(ファーストガレージKK-SII)、9位の宮園拓真選手(ABBEY RACING)、10位の八巻渉選手(中日本自動車短期大学MSE学科KK-SII)。
日本一に輝いた岡本選手にはS-FJのコントロールタイヤを提供している住友ゴム工業株式会社からダンロップ賞として、チャンピオンキャップと賞金が贈られた。そして、台座に歴代の日本一ドライバーの名が刻まれたカップが授与された。

フォト/今村壮希、吉見幸夫 レポート/はた☆なおゆき、JAFスポーツ編集部

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