JAF&JMRC中部モータースポーツ表彰式が、今年も鈴鹿で開催!
2019年1月28日
昨年、中部地区で活躍した選手達を表彰する中部モータースポーツ表彰式がJAF&JMRC中部共催のもと、1月12日に開催された
開催日: 1月12日
開催場所: 鈴鹿サーキットホテル(三重県鈴鹿市)
主催: JAF中部本部、JMRC中部
2019年が明けた新春早々の1月12日、JAF・JMRC中部モータースポーツ表彰式が三重県の鈴鹿サーキットホテルで開催された。当日は、ジムカーナ、ダートトライアルのJAF中部選手権、鈴鹿サーキットを舞台としたJAF地方レース選手権をはじめ、また西日本地域を舞台としたレーシングカート、F4のJAF地方選手権。またJMRC中部の各シリーズの上位入賞者などが表彰された。
また中部地区在住のジュニアカート選手権FP-Jr/FP-Jr Cadets両部門の入賞者が表彰を受けたほか、昨年のソーラーカーレース鈴鹿2018でオリンピアクラスを制した名古屋工業大学チームにFIAトロフィーが授与された。
パーティ形式で行われた第2部の懇親会では、昨年の全日本選手権でチャンピオンに輝いた天野智之&井上裕紀子選手(ラリー・天野選手は欠席)、津川信次選手(ジムカーナ)、山崎利博選手(ダートトライアル)に記念の高級シャンペンが贈られた。約4時間に渡って行われた表彰式はこうして盛況の内に幕を閉じた。
2018年JAF中部選手権初チャンピオンインタビュー
2012シーズンの途中からBRZで地区戦を追い始めた磯村選手。昨年の初勝利は第5戦とややスロースターターだったが、後半4戦で3勝と巻き返して初の栄冠を獲得した。
「なかなか勝てませんでしたが前半戦も2位は獲れていたので焦りはなかったです。むしろ今まで勝ちを意識しすぎるあまり、自滅することが多かったので、昨年はメンタル面を見直して、勝利や相手を意識せずに自分の走りをすることに集中したのがチャンピオンを獲れた勝因だと思います。ただスポットで出た全日本やJAFカップでは、そうした“いつもの自分の走り”を見失ってしまったので、今年は地区戦と同様の走りをそうした大会でもやれればと思っています」
第4戦から怒涛の4連勝を決めて一気に初のタイトルを決めたのが、エボXを駆って8年目の柳瀬選手だ。
「雨が続いた第2戦、第3戦は低ミューの路面に対応しきれず落としましたが、まだ自分の得意とするフルパイロンのイオックスが3戦残っていたので勝機はあると思ってましたね。狙い通り勝てたイオックスの2勝は納得の走りですが、鈴鹿南とキョウセイは勝てましたが走りは不満足です(笑)。今年は全日本でもスポット参戦していい所見せたいですけど、全日本の練習のつもりで出て勝てるほど地区戦も甘くはないので、地区戦も真剣に走ります」
近畿では何度もチャンピオを獲得するなど名の知られたスラローマーの島田選手だが、中部地区戦は初タイトルだ。
「近畿にはあまりパイロンコースがないので、パイロンの腕を磨きたくて中部地区戦を追いました。その意味では第6戦のフルパイロンのイオックスで勝てたのは嬉しかったですね。また他のクラスのSA車両との差も意識して戦っていたので、その差を詰められたのも良かったと思います。でも全日本のレベルを考えるとまだまだかな(笑)。今年もふたつのシリーズを追います。どっちかは獲りたいですね」
11年のブランクを経て2018年、復活した天野選手。復帰第1戦で、昔の競技仲間が、忘れずに暖かく出迎えてくれたことが何より嬉しかったという。
「チャンピオン争いも結局、そうした昔の仲間達と競り合うことになりました。でもやっぱり11年前にはコースがなかった今庄は勝てなかった。難しいですね。勝因は、デミオが最新のクルマにも関わらず、昔乗ってたCA4Aミラージュと比べてもあまり違和感なく乗れたことですね(笑)。今年はもうちょっと全日本のスポット参戦も増やしたいと思います」
2018のSRS-Fを首席で卒業。今年はFIA-F4のシートが約束されている三宅選手は、そのSRS-Fのシート合わせと重なったため、スーパーFJ開幕戦は欠場を余儀なくされるも第2戦から5戦連続PP、第3戦から4連勝と圧倒的な速さを見せた。
「スーパーFJは、平行して参戦した全日本カートやSRS-Fのスクールカーと比べても絶対的なグリップが低いので、タイヤに頼らずにマシンをコントロールする能力を養えたと思います。スタートのコツを早めに掴めたのも大きかったと思いますね。有力選手が多くレベルの高い鈴鹿シリーズでチャンピオンが獲れたことは大きな自信になりました」
1961年生まれの久保選手は鈴鹿クラブマンのフォーミュラエンジョイの初代チャンピオン。S耐への参戦経験もあるが、フォーミュラにこだわり続けてきた。
「昨年は7kg体を絞った甲斐があって、夏場の岡山でバテずに連勝できたことが一番大きかったと思います。西日本シリーズとしては最後という節目の年だったので絶対獲りたかったのでホント嬉しいですね。いまはハコ車も昔と違ってフォーミュラに近い感覚で乗りこなさないといけないので、総合的なテクニックが身につれられるF4は続けていきたいですね」