遅咲きドライバー三村壮太郎選手の飽くなき挑戦

インタビュー カート

2026年1月21日

全日本カート選手権 EV部門の2025シリーズで、ITOCHU ENEX WECARS TEAM IMPULの三村壮太郎選手が34歳にして自身初の全日本チャンピオンを確定させた。紆余曲折を経てついに栄冠をつかんだ三村選手に、その思いを語ってもらった。

 2025年12月21日、東京都江東区のシティサーキット東京ベイで開催された、この年の全日本カート選手権 EV部門の末尾を飾る大会。ここまで6戦4勝と強さを見せる三村選手は、その第1レースとなる第7戦を手堅く走って6位でフィニッシュし、タイトルを確定させた。

 2004年のジュニア選手権でJAF日本カート選手権に参戦を始めてから22年目、2007年の全日本カート選手権 ICA部門スポット参戦を経て、2009年に当時の全日本のトップカテゴリーであったKF部門にフル参戦を始めてから17年目で手にした、初めての日本カート選手権チャンピオンにして全日本チャンピオンの栄冠だった。

 マシンを下りた三村選手がヘルメットを脱ぎ安堵の笑顔を見せた瞬間、場内は温かな祝福ムードに包まれた。「こんなに長く全日本に出ているのにチャンピオン獲っていないんだってよく言われるんで、コンプレックスだったんですよ」と言う三村選手。これは三村選手にとっても悲願の初タイトルだったのだ。

野沢勇翔選手が歓喜の初優勝を挙げた第7戦、6位でチェッカーを受けた三村壮太郎選手は控えめに右手を上げて声援に応えた。
かつてKF1部門参戦時代に同じフィールドで競い合った杉山貴英氏とガッチリ握手する三村選手。チャンピオン確定の喜びを分かち合う。

 長いキャリアを通じて、その年ごとの体制によって浮き沈みはあったものの、三村選手は常にトップレベルの実力を持つドライバーとして認められてきた。実際、チャンピオンに手がかかることもたびたびあったのだが、栄冠にはあと一歩で届かなかった。

 そんな中でもとりわけ悪夢のような記憶として脳裏に残っているのが2012年、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキット南コースでの全日本カート選手権 KF1部門最終戦(第9戦)のことだ。三村選手はポイントリーダーとして大きなアドバンテージを持った状態でこのレースに臨み、本調子ではないながらも自力チャンピオン獲得圏内の6番手あたりを走っていた。

 最初の悲劇はその24周レースの16周目に起きた。「単独走行になって、あとは走り切るだけっていう状態のときに、めったに壊れないイグニッションが壊れて止まってしまって……。すごい悔しさと憤りを感じながらクラッシュパッドを見ていたことを覚えています」と当時を振り返る。

 チャンピオン争いのライバルだった平木湧也選手(現HELM MOTORSPORTSチーム代表)は、好調なペースでポジションアップを続けて3番手になっていた。とはいえ、トップを争う2台ははるかに前方。平木選手が逆転チャンピオンになれる2番手まで上がることは、ほぼ不可能に思えた。

「リタイアにはなったけれど、チャンピオンは1年間頑張ってきた証拠だし、こういう形でも獲れればいいかなと思ってレースを見ていました。そうしたら、最終ラップの最終コーナーでトップ争いの2台がぶつかって、平木君が2番手に上がって……。本当に信じられないことが起きました」

三村選手を振り返るうえで外せないのが、タイトル獲得目前の2012年10月14日に開催された全日本カート選手権 KF1部門 第9戦。
16周目、安全圏の6番手を走行していた三村選手はマシントラブルでヘアピンのグラベルに突っ込んでレースを終えた。
「あのことはずっとトラウマで、今でもたまに夢に見るんです」という三村選手。だが今回のチャンピオン確定で、ようやく悪夢から解放されるようだ。

 これだけ長きに渡って全日本に参戦を続けられたモチベーション、なおかつトップレベルをキープしてきた秘訣は何だったのだろうか。

「やっぱり負けず嫌いだったことでしょうか。あと、僕は他人と競争するのが好きなんですよ。もちろん勝つことが一番好きなんですけれど、例えばチームメイトに速いドライバーがいたりして、その選手といっしょにデータロガーを見ながら、ああした方がいい、こうした方がいいってディスカッションしながらともに速くなっていく過程も好きなんです。そういうことが一番できるフィールドがカートだった、ということです」

「それと若手の速い選手がバーンと出てきたときに、彼が速いのはなんでだろうって好奇心を持って研究することがずっとできていると自分で思います。彼が自分より速いのはなんでだろう、自分の方が速くなったのはなんでだろうって考えることを習慣にしているんで、それをやっているとあまり飽きがこないですね。それは終わりのないことですから」

 とはいえ、全日本のトップカテゴリーともなれば、本人が「出たい」というだけで簡単に出られるものではなく、チームやサプライヤーの協力なしでは参加を続けられるものではないはずだ。その点、三村選手はどんなことを心がけてきたのだろう。

「ドライバー講習会(シリーズ主催者が参加ドライバーのために設けた、四輪レースのトップカテゴリーで活躍する人物にプロを目指す上での知見を語ってもらう講習会)の講師をしてくださった伊藤大輔監督が、『チーム監督の仕事はみんなと仲良くすることだ』とおっしゃっていたんですが、レースはドライバーが主体であってもコミュニケーションが欠かせないスポーツなので、人とのつながりは大事だし、それが(レースを継続していくる上での)本質だと思っています」

「このカテゴリーは自分だけの力でできるものではないですよね。僕は、自分の役割をしっかり理解して、やるべきことをやって、ということを続けてきたつもりです」

 速さや上手さだけでなく朗らかな人柄でも周囲から愛されている三村選手。カートレースに参戦している30代以上のドライバーの中には、元気いっぱいの若いドライバーたちに混じってレース活動を続けてきた彼がチャンピオンを獲得したニュースに勇気と刺激もらった人も多いのではないだろうか。

 そんな全国各地で頑張っているシニアドライバーたちに向けて、三村選手が送ってくれたメッセージがある。

「僕にも刺激をもらっているドライバーがいて、それはフェルナンド・アロンソ選手なんです。自分が30代中盤になってやっぱり体が衰えてきてしんどいなと思っていると、ウチの妻に『F1ではアロンソ選手が頑張ってるのよ』って言われることがあって、そうだよなって思い直すんです」

「じゃあ僕は日本のカート界のアロンソ選手になれるように頑張りたいなと思っています。年配の選手に限らず若い選手でも、勝てずに悩んでいる人は、なぜ勝てないかをしっかり自己分析して、どうしたら勝てるようになるかを順序立ててロジカルに考えていった方がいいと思いますよ」

レース前のグリッドウォークでは、応援に駆けつけた甥や姪と記念撮影して穏やかな表情を見せた。

■三村選手の記憶に残った3人のライバルたち

 長いキャリアを通じて幾多の強力なライバルたちと戦ってきた三村選手。その中からとくに強く記憶に残った選手を3人挙げてもらった。それはいずれもカートを卒業して四輪レースに上がり、トップカテゴリーで成功を収めた名前ばかり。カート時代に三村選手を追い詰め奮い立たせてきた彼らは、どんなドライバーだったのだろう。

佐々木大樹選手

「勝負強いドライバーでした。僕と同じでいろいろなカートに乗ってきた選手なんですが、どんなシャシーに乗せても、“佐々木大樹”の乗り方ができるカートに仕上げてしまいます。僕はその逆で、自分の乗り方っていう強いものを持っていなくて、そのとき使うマテリアルによって自分をアジャストしようっていうタイプ。アプローチの仕方はぜんぜん違いました。ああいうことができるドライバーは多分ほかになかなかいないでしょう」

佐藤蓮選手

「彼については今さら言うまでもないと思うんですが、歴代のドライバー中で、とくに若いころの佐藤選手は、カートに関しては一番速かった。1年でもいいからヨーロッパに行って戦っていたら、向こうでも上位に入ってくれたんじゃないかなと思っています。これまで速いドライバーはいっぱいいたけれど、佐藤選手も佐々木選手と同様に、カートレースの時代を変えてきたドライバーのひとりだと思います」

福住仁嶺選手

「佐々木選手と佐藤選手は我流というか、ほかの人が真似できない走りをしていたドライバー。それに対して福住選手は、もしカートの教科書があったら、そこに書いてあることを完璧に実現しているような乗り方でした。高い進入速度で、丁寧なブレーキングで、フロントに荷重を乗せながらカートを滑らせずに向きを変えるっていうのがすごく上手。日本人の中で一番高いレベルにあったのが福住選手だと思っています」

PHOTO/遠藤樹弥[Tatsuya ENDOU]、後藤佑紀[Yuuki GOTOU]、長谷川拓司[Takuji HASEGAWA]、山本佳吾[Keigo YAMAMOTO]、JAPANKART、JAFスポーツ編集部[JAFSPORTS] REPORT/水谷一夫[Kazuo MIZUTANI]、JAFスポーツ編集部[JAFSPORTS]

ページ
トップへ