ダートトライアル 小出久美子選手 モタスポ女子インタビュー

通勤途中にラリー車を捕まえて説得!?
人生初の挫折を克服すべく奮起した

JAF全日本ダートトライアル選手権ドライバー
小出久美子選手

[こいでくみこ選手]広島県出身。もともとモトクロスに向いていた興味が、とあるキッカケでダートトライアルに出会うことになった。かつてはその活躍ぶりから「広島のミッシェル・ムートン」と呼ばれ、近年では競技参戦回数も1000回を超えていることから、「女・衣笠(広島カープで連続試合出場記録を持つ)」と言われたこともあるという。最初はラリーに出場したかったが環境が整わず断念。2008(平成20)年と2010(平成22)年にはWRCラリージャパンに参戦して長年の夢を叶えた。旦那様であるアキマただゆき選手と活動する小出選手。年に一度はラリーにも参戦していて、2019(平成31)年はFIAアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)の北海道ラウンドに夫婦で参戦した。

「これはスポーツなんだ」。自分の行為に誇りを持てた

ラリーと同じように未舗装路で速さを競うダートトライアル。現在でも女性ダートトライアラーは珍しい存在だが、その先駆け的な存在と言えるのが小出久美子選手だ。
もともとバイクが好きで、モトクロスをするために運転免許が欲しいと思っていた。しかし、当時はクルマが「お宝」だった時代。女性がバイクに乗るなんて、とんでもない時代だったという。
そんな時、テレビCMに映ったラリー仕様の三菱ランサーが目に飛び込んだ。「バイクだけでなく、クルマでもこういうものがあるのか」と、新たな世界に胸を躍らせた。
ある日、通勤途中で競技車両のA73ランサーを目撃した小出選手。思わぬ出会いに衝撃を受けたが、翌日に、また同じ競技車両のランサーに出会ったのだ。
「今しかチャンスはない!」と感じた小出選手は、何とその場でクルマの持ち主に直談判。「チームに入れてください!」と半ば詰め寄る形で交渉したという。
「相手はびっくりしますよね(笑)。でも、おかげで親の承諾書も持参して、何とかチームに入れてもらえることになりました」。
チームに入る希望は叶ったものの、ラリーに出たいと思っても、うら若き女性に怪我をさせるわけにはいかないと、誰もナビゲーターとして隣に乗せてくれない日々が続いた。「それなら」と、何と自分でラリー車両を購入した。しかし、今度は「素人の横には乗りたくない」と、今度は誰もナビを引き受けてくれない日々が続いたという。

そんな時、ラリーの練習としてダートトライアル競技への誘いを受けた。
初めてのダートトライアルは「ものすごい”ビリ”でした」と笑う小出選手だが、当時の小出選手は地元でも有数の企業のOLだった。ダートトライアルでボロ負けした経験は、人生で初めて味わった「挫折」だったという。
小出選手は「一回も練習しないで出たからビリだったので、今度は練習してから挑戦して、それでもダメだったら諦める」と奮起。ダートトライアルの大会に片っ端から参戦していった。
当時は後輪駆動車が主流で、最初に購入した競技車両のTE37カローラレビンで出場していたが、とあるキッカケで前輪駆動車の可能性を知ることになり、街乗りで所有していたSB1シビックに乗り換えた。
すると次第に成績もアップ。練習するほど成績が出るようになったそうで、この成功体験が、小出選手をさらに深くダートトライアルにのめりこませていった。「レディースクラスの先輩ドライバーが関西にいまして、とある大会に出た時に、先輩から初めて『モータースポーツ』という言葉を聞いたんです。その時に『私がやっているコトは暴走行為でも、近所の人に否定されるようなことでもなく、スポーツなんだ』と実感したんです。自分がやっていることに誇りを持てたんですよ。その時の嬉しさは今でも覚えていますね」。
小出選手にとって、ダートトライアルは人生そのものだ。
「勝つも負けるも自分のせい。100分の1秒を縮めるための努力を積み重ねていくことは、とても奥の深いスポーツだと感じています。やめたいと思ったときがやめどきですが、今まで一度も思ったことはありませんね(笑)。これから先も、止めたいと思うまで走り続けますよ!」。

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