時代とともに変化したサーキットを辿る「鈴鹿サーキット編」後編

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2020年6月19日

普段見慣れた光景でも、過去を振り返ると大きく変化していることに改めて気づかされる。全面改修や一部改修を経てはいるものの、キープコンセプトで変貌を遂げた鈴鹿サーキットをクローズアップ。

 鈴鹿サーキットは1984年以降、大きく変化を重ねていくことになる。その最大の理由はF1グランプリを開催するためであった。日本では1976年から2回だけ富士スピードウェイでF1が開催されたが、観客を巻き込むアクシデントが発生。それ以来、開催されずにいたF1の人気が再び高まってきたのは、1983年からのホンダの再挑戦があったからに他ならない。

 実はF1の開催権を持つF1コンストラクターズ協会(FOCA)との接触は、すでに1970年代末からあったとされる。しかしながら当時はヨーロッパ中心で開催されていたこともあり、アジアでの開催は非常に困難な状況にあった。それでも粘り強く交渉する中、F1招致の準備として改修を進めていく。

 1984年に鈴鹿サーキットは、初めての全面改修を行った。改められたのはS字とスプーン、130R。特にスプーンはイン側に寄せられる格好となり、入口は90R、出口が70Rであったのが、ともに60Rとされていた。翌1985年には1~2コーナーを改修。100R、70R、60Rの複合コーナーだったのが、100Rと60Rを短い直線でつなぐ格好に。先のスプーン同様、内側に寄せられ、いずれもセーフティゾーンが拡大されている。

 そして1986年の暮れ、ついにF1グランプリ開催契約が締結、1987年から再び大改修が行われる。コントロールタワーやピットが改められ、また西コースのパドックとピットが、ヘアピンから現在の位置、バックストレートに移された。また80Rだったデグナーは15Rと25Rの複合コーナーに変更されて、S字とヘアピンはセーフティゾーンを拡大。かくしてF1グランプリを迎え入れる準備は完璧に整えられた。

 毎年F1が開催されるようになっても、鈴鹿は安全面の向上を欠かさなかった。1991年にはシケイン入口を30m最終コーナー寄りとし、10Rと8Rの切り返しの後、115Rで最終コーナーを駆け抜けていく格好に。1994年には路面の全面改修を行った。

 安全面とは関係はないが、2000年にはダンロップコーナーの立ち上がりにヘアピンを計上のショートカットを設け、東スペシャルコースとしてフォーミュラ・ニッポン等を開催した。しかしながら、あまり好評ではなかったようで、わずか3年で使用されなくなった。

 2001年にはS字の一部を、2002年には逆バンクからダンロップコーナーを、内側に寄せてアウト側のエスケープゾーンを拡大。2002年にはデグナーのセーフティゾーンも拡大されている。そして2003年では130Rを85Rと340Rの複合コーナーに。名称はそのままなのは、それほど浸透していることの証明ともいえよう。

 またこの年はシケインを四輪レース用と二輪レース用に分け、四輪レース用は入口を60m手前に移し、ややなだらかな形状とされている。2004年にはヘアピンの立ち上がりに二輪レース専用のシケインを設置。

 レイアウト変更を伴う改修はこれが最後である一方で、施設面には大改修が行われている。2005年には新グランドスタンドが設けられ、また2008年にはS字とダンロップコーナーの外側にあった「山田池」を埋め立ててパドックを拡充。2009年までにはピットビルも新設されて、現在見られる鈴鹿サーキットの光景となった次第である。

 もちろん近年はレイアウトこそ変更されていないものの、路面や縁石、セーフティゾーンの部分改修は随時行われており、直近では2020年の1月にデグナーの路面張り替え、縁石の二重化が行われている。安全性の向上には、引き続き抜かりはないといったところか。

 それにしても思うのは、こうやって変化を辿っていったからこそ分かったのは、鈴鹿は鈴鹿なりの『醍醐味』を1962年からの長い歴史で、一度も損なっていないということだ。そして、国内初のサーキットが基本となるレイアウトを、一度も変更していないことへの驚き。それはあらためて感じられたことだった。

各コーナーは昔と今とでレイアウトが異なっており、特に安全面の向上が図られた。またピットビル等の施設の改修も行われている。
現在の鈴鹿サーキットのコースレイアウト。F1ドライバーを始め、著名な選手から世界最高峰と言わしめるコースとなった。

イラスト/高梨真樹 レポート/はた☆なおゆき、JAFスポーツ編集部

※参考文献:「明日への道標 モビリティランド50周年記念誌」(株式会社モビリティランド)、「モータースポーツ百科」(株式会社グランプリ出版)、「サーキット燦々」(株式会社三栄書房)

<関連リンク>
時代とともに変化したサーキットを辿る「鈴鹿サーキット編」前編

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