日本の王者が痛感した欧州の壁~FIA F2 宮田莉朋選手、2年目への期待~

レポート レース

2025年1月14日

2023年、日本最高峰カテゴリーであるスーパーフォーミュラとスーパーGT GT500クラスでダブルタイトルを手にした宮田莉朋選手。2024年は挑戦者として海外へ旅立った彼の元へシーズン終盤のカタール大会で訪ねたところ、そこには苦悩する王者の姿があった。

2024 FIA Formula2 Championship Round13/2024年FIAフォーミュラ1世界選手権第23戦カタールGP「Fomula 1 Qatar Airways Qatar Grand Prix 2024」併催
開催日:2024年11月29日~12月1日
開催地:Lusail International Circuit(ルサイル・インターナショナル・サーキット/カタール)

2024年の宮田選手はRodin Motorsportから6号車に搭乗。FIA F2フル参戦を果たした。
第13戦カタール大会で、この週末のメインとなるフィーチャーレースに臨む宮田選手。

 2023年にスーパーフォーミュラとスーパーGT GT500クラスの両方でドライバーチャンピオンを獲得した宮田莉朋選手。2024シーズンはディフェンディングチャンピオンとして日本に留まるのではなく、挑戦者として海外のレースにステップアップする道を選んだ。

 2024年の宮田莉朋選手は、FIAフォーミュラ1世界選手権(F1)の直下であるFIA F2選手権にフル参戦を果たした。近年はFIA F2に挑戦する日本人ドライバーも少なくないが、日本のトップカテゴリーでチャンピオンに輝いたドライバーがFIA F2に参戦するのは初めてのケース。特に開幕ラウンドのサクヒール大会(バーレーン)では公式映像で何度も映し出されるなど、その注目度の高さがうかがえた。

 ただ、彼にとっては初めての海外シリーズ参戦ということで、すべてが初経験となる慣れない環境に試行錯誤を重ねた一年だったようだ。今回は、2024年11月末に開催されたFIA F2第13戦ルサイル大会(カタール)を訪れる機会を得られたため、宮田選手が感じたスーパーフォーミュラとFIA F2の違いや難しさについて取材することができた。

 ここで改めて宮田選手のFIA F2参戦初年度を振り返る。FIA F2の2024シーズンは全14戦がスケジュールされ、それぞれ土曜のスプリントレース(120kmまたは45分)と、日曜のフィーチャーレース(170kmまたは60分)の2レースで構成されている。スプリントレースは、金曜の予選セッションの上位10名がリバースグリッドでスタートする。

 宮田選手は開幕戦サクヒールのフィーチャーレースで9位に入り、参戦2レース目で初ポイントを獲得。さらに第3戦メルボルン大会(オーストラリア)ではスプリント/フィーチャー両レースで5位入賞を果たし、これが彼にとっての2024シーズン最上位となった。そして、第4戦以降の欧州ラウンドに入ると、経験あるドライバーたちの差が表れる形となり、後方のポジションでフィニッシュするレースが大半となった。

 しかし、6月の第6戦バルセロナ大会(スペイン)のスプリントレースでは、ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ(ELMS)でレース経験があり、FIA F2でもテスト経験があるカタロニア・サーキットということで、スプリントレースでは力強い走りを披露した。宮田選手は2番手でチェッカーを受ける好走を見せたが、トラックリミット違反で10秒ペナルティが課されて最終結果は7位。それでも経験があるコースでは十分に戦える可能性があることを示した一戦となった。

 その後も苦戦するレースがありながらも、第9戦ブダペスト大会(ハンガリー)のフィーチャーレースでは18番手から10ポジションアップの8位フィニッシュを果たし、第10戦スパ・フランコルシャン大会(ベルギー)でも7位に入る活躍を見せた。そして、終盤のルサイルとヤス・マリーナの中東2連戦でもフィーチャーレースでポイントを獲得し、宮田選手は合計31ポイントを積み上げて、ランキング19位で初年度のシーズンを終えた。

 結果だけを見ると「苦戦した」と捉えられがちな一年だったと言えるだろう。外野からすれば、その言葉が当てはまる部分も大いにあるが、実際に宮田選手自身は2024年シーズンのFIA F2をどのように感じていたのだろうか。

カタール大会の予選では、午前に行われたプラクティスに続いてHitech Pulse-Eightの17号車ポール・アーロン選手がトップタイムを計測。宮田選手は15番手タイムに終わった。
土曜のスプリントレースは、PREMA Racingのオリバー・ベアマン選手がリバースグリッドのポールスタートで優勝。宮田選手は7番手入線ながらもペナルティで13位に終わった。
日曜のフィーチャーレースでは、ポール・アーロン選手が初優勝を飾り、FIA F2のタイトル争いは最終戦に持ち越された。宮田選手は善戦を見せ10位でポイントを獲得している。

45分のプラクティスから始まる“タイヤマネジメント”

「初の海外レース挑戦は面白いですが、日本の経験が活きるかと言われると……このカテゴリー(FIA F2)では活きないなという感じがしますね。全くの別モノです」。

 初めてFIA F2に挑戦するなかでの心境をこう語った宮田選手。彼は日本でFIA F4、全日本フォーミュラ3選手権(後の全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権)を経て、2020年途中で全日本スーパーフォーミュラ選手権にステップアップし、2021年から2023年までフル参戦してきた。日本で培ったレース経験は決して少ないわけではない。

 しかし、FIA F2で使用されるのは、2024年から新世代となったダラーラ製“F2 2024”シャシーに、メカクローム製V6 3.4リッター・ターボエンジンを組み合わせた車両で、ワンメイク供給されるピレリ製タイヤについては、各大会で異なる2種類のドライタイヤを使い分けなければならない。その種類は年間で4種類(スーパーソフト/ソフト/ミディアム/ハード)が用意されており、コース特性に応じて2種類が選ばれ各車に供給される。

 ちなみに現在のスーパーフォーミュラでは、シーズンを通して供給されるドライタイヤは1種類のみだ。

 また1大会で使えるタイヤは合計5セットの新品で、プライム(硬い方)が3セット、オプション(柔らかい方)が2セットだ。宮田選手にとっては、1セットでも多く履いてタイヤの特性やコースへの習熟をしたいところだが、予選と決勝2レースで使うタイヤを考慮すると、プラクティスで使えるのは実質的にプライム1セットのみだという。

「45分のプラクティスでタイヤを2セット使うこともできますが、そうするとレースで不利になっていくだけなので……。結局、プラクティスで使えるのは1セットだけ。さらにタイヤのデグラデーション(性能劣化)が大きいから、周回数を重ねてタイムが上げられるかというと、そうでもない。そこが難しいですね」。

 加えて、欧州や中東のサーキットが宮田選手にとって初経験であるということも、ハードルとなっているようだ。

「(ピレリタイヤの経験値がなくても)コースを知っていれば、まだ対応できるところがあります。バーレーンとバルセロナに関しては事前にテストをしていて、コースを知っていたのは良かったなと思いましたが、他のコースは知らない状態でした。これまでずっとフォーミュラカーレース+ピレリタイヤという環境で走ってきたまわりのF2ドライバーたちに比べると、そこの経験値が圧倒的に違いましたね」。

ピレリは2011年からFIA F2のワンメイクタイヤサプライヤーを務めており、P ZEROブランドのレーシングタイヤが2027年まで供給されることになっている。
スーパーフォーミュラでは、SF NEXT50にプロジェクトに賛同する横浜ゴムにより、サステナブル原料を活用したADVANレーシングタイヤがワンメイク供給されている。
イタリア出身のキミ・アントネッリ選手は、PREMAからイタリアF4やフォーミュラリージョナル・ヨーロッパに挑戦し、圧倒的な活躍を見せてFIA F2に昇格している。
ブラジルのガブリエル・ボルトレート選手はカート時代から欧州に拠点を移してキャリアを重ね、2023年FIA F3王者、そしてFIA F2でも2024年最終戦でチャンピオンを獲得した。

ピレリタイヤに慣れているか、慣れていないか

「特に難しいと感じるのがコースとタイヤですね」と語る宮田選手。なかでもタイヤに関しては、スーパーフォーミュラでワンメイク供給されるヨコハマタイヤとは特徴が大きく異なるという。

「説明が難しいんですが……大袈裟に言うと、ヨコハマよりも、タテ(加速&減速にかかる負荷)とヨコ(コーナー旋回時にかかる負荷)をしっかり分けて使わないといけない印象です。そうしないとタイヤの摩耗を早めることにもなるし、一番は、タイヤの良いところを使い切れないなと感じています」。

 1シーズンを戦うなかで、ピレリタイヤ初経験の自分と、ピレリタイヤに慣れているまわりのドライバーとの“違い”を痛感する瞬間が何度かあったという。

「タイヤを傷める一番の要素は、ヨコを使う時だと思います。タイヤをスライディング(滑らせること)させてしまうとオーバーヒートが進んで、タイヤのデグラデーションが進んだり、ピークパフォーマンスを落としてしまうんです。そのなかで『ここがMAXのポイントだ』と思う地点を、自分から上げていかないといけないんです」。

「例えば、“ここがピレリの限界点で、それ以上滑らせる=タイヤのデグラデーションにつながる”と自分が感じている部分があるとすると、慣れているドライバーは、僕がMAXだと思っているさらに先の領域を使ってプッシュしているんですよ。僕がデグラデーションだと感じているのを、彼らはデグラデーションじゃないと感じているんです」。

「でも、僕自身はその際どいところをセンシティブに感じて、守りに入っちゃっていて。上手く使い切れていないんです。だから予選でピークパフォーマンスを出すというところは難しいなと感じています。しかも、ソフト側のタイヤになるとグリップは上がるけど、温度変化に対する影響がより繊細になってしまって、そのピークが自分の中で感じられていないまま、終わってしまっているんです」。

「でも慣れているドライバーは、それらを感じられていないのではなくて、もっとその先(のグリップ)を感じていて、スライディングした先にグリップを感じているんです。そういうところがピレリタイヤの難しい点だと感じています。ヨコハマタイヤは、そういう感じではなかったというか、一発のグリップはしっかり出ますし、そこから(ピークが)落ちていくと言う感じでした」。

 欧州のレースで主流となっているピレリタイヤと日本製のタイヤには大きな違いがあるということは、日本のレース業界でも何年も前から言われている。海外で経験を積んでスーパーフォーミュラにやってきたドライバーも「ピレリは“慣れ”が必要だ」と口を揃える。

 2023年のFIA F2チャンピオンで、2024年は開幕戦のみスーパーフォーミュラに参戦したテオ・プルシェール選手は、「僕は2019年からピレリタイヤを使ってきたから、そのノウハウがFIA F2で活きたと思う。でも、その特性を短時間で理解するのはやはり難しい。ウォームアップのやり方やタイヤのデグラデーション、予選でのプッシュの仕方も違うから、莉朋も最初は難しいと感じるはずだ」と語っている。

 また、2024年のFIA F2で2勝を挙げ、2025年はスーパーフォーミュラに参戦するザック・オサリバン選手も、「欧州でレースをしているドライバーはFIA F2に上がる前からピレリタイヤを経験している。それはカテゴリーが変わってもタイヤ自体のキャラクターがそこまで変わらないから、ピレリの経験は活かされる。“ピレリを使うのが初めて”ということが、2024年の莉朋にとって何より難しいものになっていたと思う」と語った。

 今回訪れたFIA F2のカタール大会では、RODIN MOTORSPORT(ロディン・モータースポーツ)の関係者への取材も実現した。そのなかで、宮田選手を担当し、かつては角田裕毅選手の担当エンジニアでもあったMatt OGLE(マット・オーグル)氏はこう語る。

「日本にはスーパーGTやスーパーフォーミュラという素晴らしいカテゴリーがあり、もちろん、日本で成功して素晴らしいキャリアを積むことができる環境がある。でも、私自身の考えとしては……、F1を目指すのであれば、ピレリタイヤで走り始めるのは早ければ早いほど良く、そして、欧州や中東などのサーキットを学び始めるのも早ければ早いほど良いと思っている」。

 日本にいる我々がイメージする以上に、タイヤの差というのは大きいのだということを思い知らされる話だった。

2023年のFIA F2王者で、2024年の第1戦のみITOCHU ENEX TEAM IMPULからスーパーフォーミュラに参戦したテオ・プルシェール選手。その後INDY CARに転向した。
2024年FIA F2では第5戦と第10戦で勝利を挙げたザック・オサリバン選手。2024年末のスーパーフォーミュラ合同/ルーキーテストに参加し、2025年は日本に活路を見出す。
フォーミュラカーレースの敏腕エンジニアとして知られるマット・オーグル氏。FIA F2時代の角田裕毅選手をはじめ、後のF1ドライバーを数多く担当してきている。

タイヤやコースだけじゃない、日本と欧州の違い

「こっちに来て、いろんな苦労をしてますけど、なかでも、経験していないことがあまりにも多すぎる、と感じています」と宮田選手は続ける。

「そもそもで言うと、コミュニケーションを取れるかというかというところの壁もあります。僕は英語を勉強していたから会話ぐらいはできますけど、それでも苦しいところがあります。やっぱり(同じ英語でも)国それぞれで喋り方も違いますし、イギリス人はイギリス英語で訛りが違います。そういうところも欧州に来ると痛感する部分ですね」

 宮田選手は、車両についてもスーパーフォーミュラとの違いを感じているという。

「F2のクルマにはパワーステアリングがないし、タイヤサイズも大きい(スーパーフォーミュラは13インチ、FIA F2は18インチ)。これだけダウンフォースが大きくて、速いクルマで、かつパワステがないのは、日本で言うとスーパーフォーミュラ・ライツの車両くらいですかね。そういう一つひとつを見ても、スーパーフォーミュラとF2とではだいぶ違うんです。だから、“F2からスーパーフォーミュラ”も難しいし、“スーパーフォーミュラからF2”に関しては、もっと大きなギャップがあるんじゃないかと感じています。その上で、F2は走行セッションが短いので……」。

 しかし、モータースポーツの厳しいところは、内容よりも結果が重視されがちなこと。特に、日本でダブルタイトルを獲ったドライバーということもあり、1年目から結果を期待する声も多かったのも事実だ。宮田選手は「僕が気にしすぎなのかもしれませんけど、やっぱりダブルチャンピオンを獲ってこっちに来たから、日本の皆さんからすれば、“もっと頑張れよ!”ってなるかもしれませんよね」と想像する。

「でも、ありがたいことに(欧州で)一緒に仕事しているみんなは、『日本でダブルチャンピオンを獲ったドライバーが成功しないわけがないし、莉朋が秘めているモノは絶対にある』と、僕のことを信じてくれています。それはELMSとWECでも同じで、僕はそんなみんなに助けられているし、僕もまた頑張ろうという思いにさせてくれています」。

「ELMSは優勝できましたけど、F2では期待に応えられなかったというか……。でも、(1年目は難しいということを)みんなも分からないから歯痒い部分もありました。こうして、一つひとつを知ってもらえると嬉しいですね」。

 こう語る宮田選手の表情から、日本にいる我々には到底感じられないほど難しい状況下で孤軍奮闘していることが伺えた。そして、ひたむきに現実と向き合う彼の姿を目の当たりにしたことで、日本でみられるシリーズの上下を比べるような論調が、現場にとってはまるで無意味であることも思い知らされた。

信じ合えるチームメンバーのサポートも、宮田選手が前に進むための原動力となっている。
カタール大会では中嶋一貴TGR-E副会長もサーキットを訪れて宮田選手を激励していた。

2年目はチームを移籍。環境を一新して勝負の年へ

 初めてのことばかりだった2024年が終わり、2025年の宮田選手はFIA F2で2シーズン目を迎える。今度はチームを移籍してARTグランプリからの参戦。新天地とはなるが“FIA F2という世界を経験した”という1年は、きっと彼にとって役に立つことだろう。

 また、さらなる結果を求めるために、宮田選手は“新たな一歩”を踏み出している。

「実は、こっちに来てからずっとドイツに住んでいたんですけど、最近イギリスのロンドン近辺に引っ越しました。今のアパートはジムもプールも付いているので、すぐにトレーニングできる環境ですし……、すごくラクですね(笑)」とは宮田選手。

 ちょうど、カタール大会の直前に引っ越したそうで、フィジカルトレーナーも含めて体制を一新したとのこと。「振り返ると2023年(国内でダブルタイトルを獲った年)は“勝ち癖”みたいなものがあったと思うんですけど、あの時は私生活の部分が充実していたというか、私生活でフォローしているところがあるから、レースで最大限のパフォーマンスを出せていたなと思っています。まずはしっかりとF2にフォーカスできるように、身の回りの環境を変えることにしました」と、FIA F2を強く意識した“足場固め”を自分自身から行っている様子もうかがえた。

 2024シーズンの全14ラウンド28レースで得られた経験は、宮田選手にとって間違いなく大きな財産になることだろう。その分、1年目以上に結果が求められる2025年。どんな成長を見せてくれるのか、3月の開幕戦メルボルン大会から目が離せない。

2025年はTGRドライバー・チャレンジ・プログラムのドライバーとして引き続き海外で戦う宮田選手。2025シーズンはチームを移籍してARTからFIA F2の2年目に挑む。
宮田選手は、新たな環境に翻弄されながらも現実と真摯に向き合い、自分を高めている。

PHOTO/遠藤樹弥[Tatsuya ENDOU]、大野洋介[Yousuke OHNO] REPORT/吉田知弘[Tomohiro YOSHITA]、JAFスポーツ編集部[JAFSPORTS]

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