スピードパーク新潟で初開催の全日本カート選手権。FS-125部門はチャンピオン確定、FP-3部門は上位2選手の争いに
2025年8月5日

全日本カート選手権FS-125部門/FP-3部門の第7戦/第8戦が7月26~27日、スピードパーク新潟(新潟県胎内市)で開催。FP-3部門の第7戦ではトップでゴールした選手がペナルティを受け、繰り上がりで藤村太郎選手が初優勝。続く第8戦では山代諭和選手が4勝目を挙げポイントリーダーに立った。一方、FS-125部門では酒井龍太郎選手が大会2連勝を飾り、2年連続のFS-125部門チャンピオンを確定させている。
2025年JAF全日本カート選手権 FS-125部門/FP-3部門 第7戦/第8戦
開催日:2025年7月26~27日
開催地:スピードパーク新潟(新潟県胎内市)
主催:SSC、SPN
全日本カート選手権 FS-125部門/FP-3部門の2025シリーズはいよいよ終盤に差しかかり、この第7戦/第8戦を終えると残すは今季最後の大会(第9戦/第10戦)のみとなる。その天王山の舞台となったのはスピードパーク新潟(SPN)だ。2023年から地方カート選手権 新潟シリーズ開催の実績を2年間積み重ね、全日本カート選手権の初開催を迎えるに至った。
2008年にグランドオープンしたSPNは、いくつかのショートカットが設けられて多様なコースレイアウトが可能になっている。今回の大会で使用されるのは地方選手権と同じ全長1,049mのコースで、最大直線長は170mに及ぶ。
メインストレート、バックストレッチとふたつの長い全開区間は、このコースの第一の特徴といえるだろう。また、左回りのコースでありながら右にターンする1コーナー、最終コーナーのすぐ手前で左-右とタイトに切り返すシケインと、ユニークな点も多い。参加選手たちにこのコースの感想を聞いてみると、どの選手もこのコースを簡単には攻略できない様子が伺えた。


大会初日、土曜日の占有走行と車検が終わった後にはSPNでの全日本初開催を記念して、胎内市の井畑明彦市長を来賓に迎え、開会セレモニーがメインストレート上で行われた。駐車場に停められた関係者のクルマのナンバーを見て、全国から参戦していることを実感されるとともに、全日本カート選手権が新潟で開催されたことを感慨深い様子で受け止められていた。
井畑市長の祝辞に続いて株式会社スピードパーク新潟の磯野信也代表取締役会長が、「全日本の開催はコース設立時からの念願で、それが叶ったことを大変うれしく思います。今後もモータースポーツのさらなる発展に貢献していきます」と挨拶。そのマイクを引き継いだ中村寿和取締役社長が選手たちに激励を贈ってセレモニーを締めくくった。



一夜明けて決勝日。コース上で最初に行われたのはレスキュー講習会だ。朝7時、オフィシャルミーティングを終えたコースマーシャルたちがメインストレート上に集合して講習会が始まった。講師を務めるのはスポーツランドSUGOでの大会で多くのレスキュー担当の実績を持ち、FROのスタッフも務めている樋口健士朗氏。テーマは、アクシデントでコース上に倒れたドライバーを担架で安全に救出する方法だ。
「頭を打っていると神経を痛めている可能性があるので、できるだけ動かさないよう担架に載せます。その際、コースに背を向けないでください」と樋口氏。ここから3人のコースマーシャルがひと組となっての救出法を学び、それをSPNのスタッフたちが中心となって順番に体験。参加者たちは真剣な表情でより安全なレース運営に役立てるべく知識を習得して、約20分間に及ぶ講習を終えた。



この大会で全日本と同時開催される予定だったジュニアカート選手権・ラウンドシリーズ2の第7戦/第8戦はジュニア部門、ジュニアカデット部門とも成立に至らず、レースは全日本のふたつの部門が行われることとなった。周回数は第7戦/第8戦ともFS-125部門が予選15周・決勝22周、FP-3部門が予選15周・決勝20周となっている。
決勝日は夏真っ盛りの7月27日。好天のサーキットは最高気温が33度を越え、ドライバーたちは暑さとの戦いも強いられる。前回のSUGO大会では「キンキン号」と命名された冷房を効かせたマイクロバスをパドックに配置して熱中症対策に役立てていたが、今回はいつも喫煙ルームとして使用されている部屋が、冷房をかけた状態で「キンキンルーム(避暑コーナー)」として解放されていた。



全日本カート選手権 FP-3部門 第7戦/第8戦

FP-3部門は13名の参加を集めた。そのうち8名が地元勢を中心とした初参戦のドライバーだ。まずタイムトライアル(TT)でトップタイムをマークしたのは藤村選手。そのタイム51秒930は2番手の山代選手に約0.1秒、3番手の國岡光貴選手に約0.2秒の差を付けるものだった。
第7戦の予選が始まると、藤村選手は序盤からリードを広げ、2番手の山代選手を2秒以上引き離してゴール、決勝のポールを手に入れた。チャンピオン争いの渦中にある山代選手と國岡選手は、それぞれ単独走行で2番手、3番手でこのヒートを終えた。

第7戦の決勝では、いきなり戦況が大きく動いた。スタートで山代選手がトップを奪うと、後続もそれに続き、藤村選手は4番手に後退。山代選手と國岡選手が激しい攻防を繰り広げると、その隙を突いて4番グリッドから発進した髙井翼選手が先頭に立つ。すると、全日本初参戦の髙井選手を國岡選手が、続いて山代選手が攻略し、この2台が先頭集団を形成した。
7周目に入って先頭争いの2台に接近してきたのが、スタート失敗からの挽回を図る藤村選手だ。8周目、藤村選手は山代選手をパスして2番手に上がった。山代選手はここで髙井選手からもアタックを受け、その攻防で山代選手は前を行く2台に後れを取り、髙井選手は続くアクシデントでポジションを落としてしまった。
トップ國岡選手の追撃態勢に入った藤村選手だったが、予選で見せた圧倒的な速さは見られない。0.5秒強あった両車のギャップはじわじわと縮まってはいくのだが、セッティングの見直しが功を奏して調子を上げた國岡選手は容易に接近を許さない。藤村選手がようやく國岡選手のテールに追い付いたのは残り7周でのことだった。
逃げる國岡選手、追う藤村選手。息詰まるチェイスが4周続いたところで、ついに藤村選手が動いた。バックストレッチエンドの左ヘアピンで、國岡選手の前へ。だが、その先で國岡選手がトップを取り返す。激しく競り合う2台に山代選手が追い付き、ラスト1周半は三つ巴の攻防に。最終ラップ、最終コーナー手前のシケイン入口で藤村選手が勝負を仕掛けるが、國岡選手はここも防いだ。真っ先にチェッカーをくぐった國岡選手は、歓喜のガッツポーズだ。
だが、レースはこれで決着とはならなかった。3勝目を挙げたかに思われた國岡選手にはプッシングで10秒加算のペナルティが下り、結果は6位に。繰り上がりで藤村選手がウィナーとなり、全日本初優勝を果たすこととなった。2位は山代選手。2024年の地方選手権・新潟シリーズ王者の菅原伸選手が3位表彰台に。髙井選手がアクシデントでの後退から1台を抜いて4位に入り、福岡から遠征の井上幸樹選手が5位を得た。




第8戦の予選では、山代選手が2番グリッドからのスタートで先頭に立つと、4台一丸のトップ争いが勃発。ここは山代選手がトップでゴールを果たし、2番手以降は藤村選手、國岡選手、戸谷周選手の順でチェッカーをくぐった。
迎えた決勝。山代選手は先頭の座を守ってスタートしたが、オープニングラップの10コーナーで藤村選手が山代選手を急襲、トップを奪った。藤村選手、山代選手、國岡選手の3台は一丸となって4番手以下をじわじわと引き離していく。3台によるトップ争いの始まりかと思われた5周目、ギャラリーたちはまさかの光景を目にした。先頭を走っていた藤村選手がバックストレッチで突如失速、そのままエスケープゾーンにマシンを止めたのだ。藤村選手はここで無念のリタイアとなった。
ここで山代選手と國岡選手の間に0.5秒ほどの間隔が空いた。そのギャップはじわじわと、だが毎周着実に開いていき、12周目には1秒に達した。独走態勢を確立した山代選手はその後のペースを落とすことなく周回を続け、2秒弱までリードを広げて20周を走り切り4勝目を達成した。國岡選手は2位のままフィニッシュ。戸谷選手が単独走行で3位に入り初表彰台に登壇。4番手を走っていた髙井選手が残り2周でストップし、菅原選手が4位となった。
ポイントランキングは、合計得点を224点に伸ばした山代選手が首位に浮上。國岡選手が213点で2位につけている。次回、中山カートウェイで行われる今季最後の大会は、この2名でチャンピオン争いが行われることとなった。





このコースのローカルレースでトップコンテンダーとして活躍する髙井選手は、初参戦の全日本でワンチャンスを生かしてトップ快走を披露した一方、第8戦の予選ではローカルレースにはないゲートクローズドの時間にマシンの準備が間に合わずノースタートに。
また決勝ではハイグリップタイヤのラバーが乗った路面でいつもと違うラインを走った結果、縁石に当たったチェーンが切れてリタイアと、ローカルレースでは起きない経験も重ねた。大会後、髙井選手はこう語った。
「いつも全日本でトップを走っている方たちのクルマの作り方とか乗り方とか、今までのSPNでのレースでは得られないような考え方を感じ取ることができたのは、すごく大きなことだったなと思います。コースにここまでラバーが乗ることもなかったので苦戦はしたんですが、それもいい経験でした。」
新潟の地に初上陸した全日本は、レギュラー陣にフレッシュな戦いをもたらしただけでなく、地元のドライバーたちの実力を底上げすることにも貢献したのではないだろうか。

全日本カート選手権 FS-125部門 第7戦/第8戦

FS-125部門には18名のドライバーたちが参戦した。その中で一頭地を抜く速さを見せつけたのは、ここまで6戦5勝を挙げてポイントレースを圧倒的にリードする酒井龍太郎選手だった。事前練習なしで今大会に臨み、レースウィークに入って初めてこのコースを体験した酒井選手だったが、TTでは46秒355のトップタイムを叩き出して両レースの予選のポールを獲得した。2番手から4番手には高木彪乃介選手、片岡陽選手、元田心絆選手とFormula Blueのドライバーたちが並んだ。
第7戦の予選が始まると、酒井選手は1周目から後続を引き離し、そのままリードを広げ続けてフィニッシュ、今季4度目の決勝ポールを獲得した。2番手はオープニングラップで浮上に成功した元田選手。5番グリッドの本田宙選手が3番手に、11番グリッドの小熊孝誠選手が4番手に順位を上げてこのヒートを終えた。
第7戦の決勝。酒井選手はきっちり先頭の座をキープしてスタートすると、2周目から後続との間にギャップを築き、4周で独走態勢に入った。ここからの酒井選手は、自分との戦いの時間。自らの走りに集中してラップを重ねると、2番手以下はぐんぐんと離れていく。フィニッシュの時、酒井選手の背後には7秒以上のギャップが広がっていた。圧巻の今季6勝目だ。
一方、酒井選手の後方では終盤に入って2番手争いが過熱。元田選手をかわして2番手に上がった高木選手に小熊選手が迫り、残り2周でオーバーテイクに成功。小熊選手が3度目の2位入賞を果たした。小熊選手の逆転こそ許したが、高木選手は3位フィニッシュで初表彰台獲得だ。




第8戦に入っても、酒井選手のスピードは陰りを見せない。予選では1周目からリードを広げて独走、問題なく決勝のポールを手に入れた。単独走行の2番手は上り調子の高木選手。元田選手が3番手でゴールした。
迎えた第8戦の決勝。スタートでは元田選手が高木選手をかわして2番手に上がる。そんな背後での順位変動を尻目に、酒井選手は綺麗にスタートを切ると、0.5秒のリードを築いてオープニングラップを終えた。ここからは酒井選手の独り舞台。背後に大きなギャップが開いてもスピードを緩めることなく自分へのチャレンジを続け、約4.5秒のリードで22周を走り抜いた。2位は序盤の2番手争いを勝ち抜いた小熊選手。高木選手が3位に入り、表彰台の三席には第7戦と同じ顔ぶれが並ぶこととなった。
文句なしの独走勝利を飾ると何度も拳を握って感激を噛みしめた酒井選手。この7勝目には大きな意味があった。酒井選手はこれで2戦を残してFS-125部門の2年連続チャンピオンを確定させたのだ。2024年は開幕4連勝でチャンピオンを確定させると、残る1大会を欠場した酒井選手だったが、今季はラストの中山大会にも参戦を予定しているという。酒井選手のチャンピオン襲名披露ともいえる中山大会での走りに期待したい。




PHOTO/長谷川拓司[Takuji HASEGAWA]、JAPANKART、JAFスポーツ編集部[JAFSPORTS] REPORT/水谷一夫[Kazuo MIZUTANI]、JAFスポーツ編集部[JAFSPORTS]